M&A業界
2025.07.08

政治の道からM&Aの世界へ。選挙出馬を経て、26歳が描く未来のキャリア

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Right Brothersが転職の支援をさせていただいた方に、これまでのご経歴や転職活動を振り返って印象に残ったエピソードなどを伺う連載企画『Bridge』。今回は株式会社ペアキャピタル(現会社名:株式会社HCフィナンシャル・アドバイザー)に転職を決められたK.Tさんにお話を伺いました。

K.Tさん
大阪府出身。父の仕事の関係でインドネシアにて幼少期を過ごす。駒澤大学を卒業後、内閣府の期間業務職員として勤務し、2023年の区議会議員選挙では区内で最年少候補者として出馬。2023年8月に大手人材企業へ入社し、現在は株式会社ペアキャピタル(現会社名:株式会社HCフィナンシャル・アドバイザー)にてM&Aアドバイザーとして従事。

海外で過ごした幼少期

ー 本日はよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

ー 幼少期は海外で生活していたと伺ったのですが、どのように過ごされていましたか?

小学1年生の時に、父の仕事の都合で大阪からインドネシアのジャカルタに引っ越すことになりました。現地での生活は、住んでいたマンションの敷地も広くて遊ぶ場所も充実していましたし、駐在している日本人家族が同じマンションに多く住んでいたので、とても楽しく過ごせました。

反面、日本語に囲まれた生活が恋しくて、早く日本に帰りたいという気持ちもありました。

ー いつごろ日本に戻られたのですか?

小学6年生の時に大阪に戻ってきました。インドネシアにいた時は、母に「日本にいる子たちはとても勉強を頑張っているから、あなたもしっかり勉強しないと」と言われていたのですが、いざ帰国してみると母の言っていた状況とはギャップがあって、周りは勉強よりも遊んでいる友達の方が多かったんです。私も周囲に影響されて、段々と友達と遊ぶ時間の方が増えていきました。

ー その後の進路について教えてください。

中高は地元の学校に通っていましたが、大学は東京に行きたくて受験をすることにしました。幼少期に過ごしたインドネシアでの都会的な暮らしがとても印象に残っていて、同じように都会的な暮らしがしたいという想いと、祖母も東京に住んでいることから勝手ながらに東京に親近感を覚えていたんです。

政治の道への入口

ー 東京での大学生活はどうでしたか?

2016年4月に駒澤大学に入学して、学生寮に3年間住んでいました。大学生活は色んなアルバイトなども経験して、大学2年の3月から政治の世界に足を踏み入れることになりました。
昔から、「自分は成功できる人間だ」って漠然と思っていたんですよ(笑)。

それなのに、これまでを振り返ってみたら自分が何もしていないことに気付きました。成功するにはまず行動を起こさないといけないと思い「成功している人に会いに行こう!」と考えた結果、ある政治家の講演会に足を運ぶことにしたんです。

ー なぜ政治家の講演会に?

幼稚園の時から父と見ていた大河ドラマが大好きだったんです。当時は幼稚園児ながら、大河ドラマを熱く語るほどでした。当時のことを思い出しながら、日本の歴史に携われるのはなんだろう?と、思いついたのが政治家でした。

その中でも成功している人を調べるうちに、ある政治家が毎月講演会をやっていることを知り、そこにとにかく通い詰めることにしました。

ー そこからどのように接点を持たれたのですか?

毎月足を運んでいたので段々と顔を覚えてもらうようになりました。でもそれだけでは足りないと考え、名刺を自作して自分を売り込みにいきました。その活動を続けていたら、政治家の方から選挙に出る時に声をかけていただき、選挙をお手伝いすることになったんです。

選挙に参加することが決まり、選挙活動において自分が何で価値を見出せるかと考えたときに「若さとがむしゃらさ」だと思い、頭で考えるよりも体を動かし、誰よりも長く働き貢献しようという気持ちでやっていました。

実際に選挙活動が終わったときには評価されて、結果が伴うかたちとなりました。
初めは後援会に通うだけでしたが、いつしか自分も政治家になりたいという気持ちを抱くようになり、大学卒業後は内閣府の期間業務職員として働くことにしました。

ー どのような業務をされていたのですか?

主には出納業務を行っていました。入職したのが2020年で、コロナウイルスの影響もあり、仕事自体が減っていたというのとルーティンワークが多く、入職以前に携わっていた仕事とまったく違う雰囲気だったため、業務のゆるやかさにギャップを感じていました。

ところが、2年目は心臓部と言われている部署へ配属されることとなり、やりがいを持って働くことができました。3年目の途中には、これまでのご縁・つながりのある方々から「選挙に出てみないか」と、お誘いいただき23区内で出馬することを決めました。

ー 初めての出馬だったと思いますが、振り返ってみてどうでしたか?

とても楽しかったという言葉に尽きると思います。街宣活動も含め、162日間活動していて、しんどかったというのはあまりなかったですね。ただ、結果は残念ながら56票差で当選することはできませんでした。

選挙後は具体的な道を深く考えていませんでしたが、選挙では多くの方に掬い上げていただいたという実感があったので、まずは自力を高めたいと考えていました。

また、私は政治の世界しか知りませんでしたが、他の候補者は民間企業での経験を持っている方が多く、今後選挙に出馬する、しないは関係なく、自分にとって必要な経験だと思い民間企業へ転職することに決めました。

民間企業で新たなキャリアのスタート

ー そこから人材企業へ転職されたのですよね?

はい。まずは転職活動をしながら自分の市場価値というのを見極めていきました。コンサル業界や、M&A業界に興味があったのですが、これまでの経験では足りないと判断し、まずは「法人営業かつ無形商材」の経験を積める企業という基準で考えていました。

選挙は一人ではなく組織での活動になるのですが、そのときに「人材」の重要性をとても感じ、人に携われる事業を行っていた人材企業へ転職を決めました。
決まったのはいいものの、転職後の最初の2ヶ月はとてもしんどかったのがすごく記憶に残っています。

ー 何があったのでしょうか。

業務内容は、首都圏の企業に対して求人媒体の営業をするものだったのですが、2ヶ月間まったく成果が出ないことにとても苦しみました。当時は、「政治の世界を捨てて民間企業に入ったから早く結果を出さなければ」 と焦る気持ちもあって、冷静に状況を判断できていなかったと思います。

振り返ってみると、課題の把握や原因分析がきちんとできていないまま突き進んでいたので、その後はできる人の真似をしたり、相手の目線に立って伝えたり、試行錯誤を繰り返すことで部署内の月間MVPを獲得できるようになっていき、段々と成果が出るようになりました。

ー なぜその後M&A業界を目指されたのでしょうか。

M&A業界は人材企業に転職する前から気になっていて、動かすスケールの大きさや、人を動かすという大きなことをやりたいという気持ちがあったからです。政治家になりたいという気持ちもそういったことが影響していたのだと思います。

そのタイミングで、Right Brothersの大澤さんからスカウトでメッセージをいただいたのをきっかけに、面談することにしました。

ー 大澤の印象はいかがでしたか?

以前からYouTubeで拝見していたので、はじめましてという感覚はあまりありませんでした。大澤さんからのアドバイスは教科書的じゃなくて、率直なところが良いなと思いました。嘘がなく、良い時も悪い時も、実直に思ったことを話してくださった点がとても信頼できました。

ー 入社後の展望はありますか?

なるべく早い段階で自分の型を見つけられるように活動していきたいと考えています。

これまでの経験から「目標がたとえ定まっていなくても、今を一生懸命生きればきちんと先に繋がっていく」という風に考えているので、環境が変わってもその言葉を忘れずに頑張りたいと思います。

ー活躍を楽しみにしています。本日はありがとうございました。

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